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日本対ベルギー戦。大賑わい。会社なんか「テレビ観るから早く帰るよ〜(^-^)」っていう方が,正しいと思う。
でも事務所の最終当番して帰った。
(x_x)吐き気,頭痛。昼からの英語教室休んでしまいました。
ダメだ〜。。。寝てた。o(+_+)o
このところ毎週のように行ってるような。。
でも今日は超ビック。。始めてお腹さすりながら行ってきた。
ユーミンコンサート@大阪フェスティバルホール。
(@^-^@)と家から二人で自転車で。
プッチーご夫婦と会場で合流。
「Down town boy」「青春のリグレット」「卒業写真」は知ってたけど,他は圧倒的に知らんかった。
「Down town boy」「青春の〜」二曲はコンサート終盤の大盛り上がりの曲だとわかった。
「やさしさ・・」は魔女の宅急便の曲だ。(=^・^=)ゞ
いつもの角氏とはかなり違う。(@^-^@)によると,こういうのがステージというらしい。角氏のは音楽隊らしい(--;;。。
以下気づいたことを忘れないうちに書いとこう。
DOJIMA cafeにて。
ホテルのあさごはん。久しぶりに洋食バージョン。
いつも高校生の通学時間と一緒になって2両編成の電車は満員。
会社の共用Let'sNoteを持ってきたが,Adobe Reader6とか古いので,更新。
コンビニで調達。明日もあるし早く寝た。
いろいろ調べたら興味深いことがたくさん!
江戸中期(1751~1764)に大阪天満宮の前でガラスの製造を始めた
長崎の商人・播磨屋清兵衛(はりまや-せいべえ)が大阪の天満宮前に工房をひらいた。
播磨屋清兵衛は、オランダ人が長崎に伝えたガラス製法を学び、大阪に持ち込みました。
1819年には渡辺朝吉という人物が川崎村にガラス工場を作りました。
同じ頃、ガラスの製造法が江戸に伝わったといわれていて
ガラス製造の開始は、江戸よりも大阪の方が早かったことになるようです。
『江戸切子:その流れを支えた人と技』という本には「大阪のカットグラス」という1章が設けられており、
大阪のガラス産業の歴史の一端が詳しく記されています。
それによると、1875(明治8)年に伊藤契信が川崎村天満山(現在の北区与力町)に
ガラス工場を作り、
1882(明治15)年には大阪最初の洋式ガラス工場を新設して、同地に日本硝子会社を設立。
1888(明治21)年には、日本硝子会社を退職した島田孫市が同じ天満地区に
島田硝子製造所を興します。
この島田孫市は、大阪における洋式切子の端緒を開いた職人の一人であり、
大阪の近代ガラスを象徴する人物だったといいます。
またこの地に 象印の本社があるのも魔法瓶もガラスからできていて
創業者はこのあたりの電球職人だったそうです。
日本最大のガラス商社のカメイガラス。
学者肌だった社長が薩摩切子のよさを忠実に復刻して、商品化を実現ました。
その後、カメイガラスは倒産しちゃったけれども、カメイガラスがなかったら
薩摩切子は今みたいに有名にはなっていなかっただろうし、その流れから、
現在では天満切子も生まれています。
1階は 千利休の展示
2階は 与謝野晶子
『市中の山居』しちゅうのさんきょ(都会にいながらにして山里の風情を味わう)
引き算の美学
お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」
くるみのお餅ではない(笑)
かん袋は、鎌倉時代末期、1329年に和泉屋徳兵衛が
和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まり
_ ま [角と比べんといてえ。しくしく。]
_ ま [新PC全快だす。 うれしくって何度もツッコんでしまうわ。]